2026.04.12 - 04:52 AM

私記:幸福という名の選別と、その「残滓」について

数ヶ月前まで、私はこの協会こそが人類を救う光だと信じていた。ピッケロ係数の定量化、それによる幸福の効率的な再分配。だが、その裏側にある「抽出プロセス」の全容を知った今、私は己の罪深さに震えている。

「清福園」の地下で行われているのは、幸福の分配ではない。絶望の煮沸だ。 人間を共鳴の触媒として扱い、その「最も純粋な苦悶」を、地上の会員たちの快楽へと変換する。抽出が終わった後の人間は、もはや人間ではない。 それは「製品」――いや、あのレストランで供される「オグー豚」という名の肉塊へと変貌するのだ。

理事たちは私を疑い始めている。昨日、私の机に置かれた封筒には、新しい識別番号が記されていた。
STB-432。 これが私の新しい名前だ。協会のデータベースにおける「管理者」ではなく「検体」としての。 皮肉なものだ。この番号こそが、皮肉にもシステムの全権限を掌握するマスターキーであることを、彼らは忘れている。

そして、あかりくん……いや、御園 燈(みその あかり)くん。彼女だけは助けなければならない。 彼女は実の父親である理事長がこの非道な研究を行っていることも知らぬまま、「海野あかり」という偽りの身分を与えられ、検体 #109 として、自らが「究極のオグー豚」のプロトタイプになるために捧げられようとしている。 彼女は本名である「燈(あかり)」としての真実も、己の出自も何も知らされていないのだ。 管理システムのログには、彼女に割り当てられた隔離コードが冷酷に刻まれていた。
YO-S009-K

私はもう、長くは持たないだろう。意識が「共鳴」に侵食され、自我が崩壊し始めている。 だが、私が最後に開発したあの『共鳴安定装置(STB-432)』が、かろうじて私の波形を保存し、人格の完全な崩壊を防ぐバックアップとして機能してくれている。 これがある限り、私は一時的に豚化の進行を抑え、最後の瞬間まで人間として思考を繋ぎ止められるはずだ。 もし、誰かがこのメモを読んでいるのなら。 彼女と通信を繋いでほしい。協会の古いプロトコル……そう、OG-Pulse を使えば、まだ彼女の正気を繋ぎ止められるはずだ。

全てを終わらせる準備はできている。
最後の瞬間まで、私は人間でありたい。

――佐藤教授が確保した緊急通信ラインを検知しました。

海野あかりと通信を開始する
← 研究員一覧に戻る